[3]ベルヌーイとベルヌーイ一族
スイスの数学者、物理学者。1700年オランダ生まれ。ハイデルベルグ 大学、ストラスブール大学、バーゼル大学で哲学、論理学、医学を学び、 1721年に医学博士。また、父や兄からは数学を学ぶ。1723年には 微分方程式と流れの物理に関する数学の論文を書き、それによって172 5年からロシアのペテルスブルグの科学アカデミーの教授となり、医学、 力学、物理学を講義。1733年後任に友人のオイラーを推薦してスイス のバーゼルに戻り、解剖学、植物学、生理学、物理学を講義し、30年間 好評を博した。1782年、広く公衆からも惜しまれながら、バーゼルに て没。
ベルヌーイ一族はスイスのバーゼルを本拠地とする学者一家で、17世紀 から18世紀にわたって3世代、8人のすぐれた数学者を輩出し、1世紀 以上にわたって、バーゼル大学の教授職を歴任しました。そのなかでも特 に秀でていたのはヤコブ、ヨハンの兄弟とヨハンの息子ダニエルの3人で、 ベルヌーイの定理で有名なベルヌーイはダニエルのことです。ヤコブもヨ ハンもともに父親の反対を押し切って数学に転向し、多大の輝かしい活躍 をした人物でした。ダニエルも父と同じくまず医学を勉強し、後に数学へ と転向しました。
彼の研究は多岐にわたっていました。医学では、呼吸機構の解明、筋肉収 縮の力学的理論、眼の盲点についての実験、心臓の力学的な仕事量の計算 などが挙げられます。また数学では、微分積分学、無限級数、確率論に貢 献しています。物理では、剛体や弾性体の力学、流体力学、振動論などに 大きく貢献しました。流体力学に関する成果は1738年に主著「流体力 学」にまとめられました。ベルヌーイの定理もこの本に述べられています。 また、驚くべきことには、この本では気体運動論的な試みが行なわれてい たのですが、当時の状況では時期尚早であったために受け入れられず、以 後100年以上も埋もれてしまう運命にあったようです。
ところで、ダニエルが「流体力学」を出版したちょうど同じ頃、父ヨハン も「流れ学」という著書を出版しています。どうやら、父ヨハンは息子ダ ニエルに対して敵対心を抱いていたようで、研究成果に関する優先権を主 張するための出版であったようです。また、1725年から1749年の 間に、ダニエルはパリの科学アカデミーから天文学、重力、潮せき力、磁 気、海流、船舶の動きなどに関する研究に対して10個の授賞をします。 特に、1735年には惑星の軌道についての研究で父ヨハンと賞をわかち あったのですが、「授賞するのは自分だけ」と決め込んだ父ヨハンは息子 ダニエルを家から放逐したと言われています。