[11]ファラデー -偉大な実験の天才-
イギリスの物理学者、化学者、物理化学者(あるいは、自身の言葉によ ると、自然哲学者)。ロンドン近郊のニューイントンで、1791年9 月22日生。電磁誘導、電気分解に関する法則、光の磁気効果などを発 見。その生涯は発見の連続。とくに、「ファラデーの電磁誘導法則」は 電磁気学の基礎概念の形成に対する画期的な貢献であり、不朽の業績。 父はヨークシャー州から移住した鍛冶屋。子どもが10人の貧しい生 活。14才の時、一家は北部ロンドンへ引越し。それを機に、製本屋へ 見習い奉公。見習いをしながら、製本する本の内容に興味を抱き、とく に化学や電気について熱心に勉強。ファラデーの勉強熱心に感心し、主人 も科学の講演を聴きに行くことを許可。たまたま街で見かけた「1シリ ングで科学の話しを聞かせる」という講演などにも十数回出席。とりわ け、主人の取り引き先の学者ダンスと一緒に王立研究所の化学者デーヴィ ーの講演を数回聴いて感銘。科学で身を立てようと決心。講義ノートを 添えてデーヴィーに手紙。助手として雇ってくれるよう請願。デーヴィ ーは返事をよこし、ファラデーと面会。科学で身を立てるより、このま ま製本屋を続けるほうがよいことをアドバイス。ところが、数日後、 「助手がやめたのでそのかわりとしてどうか?」との手紙がデーヴィー から舞い込み、王立研究所の実験助手に。ときに1812年、ファラデ ー21才。その後、デーヴィーについてヨーロッパを旅行。科学研究の 現場をつぶさに見聞し、見識を深める。ファラデーは研究熱心で、研究 室に寝泊りして研究。1825年、ベンゼンを発見。その研究は高く評 価され、デーヴィーの死後、その後任として化学の教授となる。当時、 身分制度の強いイギリスでは異例の出来事。ファラデーは敬けんなクリ スチャン。虚栄を排することをモットーとし、数多くの賞、王立協会の 会長職、ナイトの称号などを辞退。1867年、8月25日75才で没。 生前の希望により、ごくつつましい葬儀。

おそらく、ファラデーこそは歴史上もっとも偉大な実験の天才であったと いえましょう。

ところで、そのような天才が出現するにはいくつかの条件が相乗的に作用 しているように思われます。

持って生まれた才能が重要であることは言うまでもないことですが、その 才能を発見して育み、開花させる要因もそれに劣らず重要です。

デーヴィーは、彼自身が八つの新元素を発見したほどの有能な化学者でし たが、最大の発見は他ならぬ

「ファラデーその人」の発見
であると言われているのも、ことの重大さから見ると全く正当な評価であ るように思われます。

イギリスの化学者グラッドストンの言葉によれば、ファラデーにと って

ヨーロッパが彼の大学
であったということです。

ヨーロッパを見聞した結果培われた豊かな見識のもとにこそ、持って生ま れた才能を学者として開花させることができたのだ、という観点に立つと、 これもまた至極当然といえるでしょう。

一方、ファラデーが製本屋に見習い奉公に出された偶然や、勉強熱心なファ ラデーを認めた製本屋の主人、ファラデーに講演を聞く費用を工面した兄、 ファラデーをデーヴィーの講演に誘った市井の学者ダンス、たまたまデー ヴィーの助手が辞めた偶然、などの決定的な出来事の存在も忘れることはで きません。

一人の天才の出現には、さまざまな種類の出来事が協同して働いています。 おそらく、どの機縁を欠いても天才ファラデーの出現はあり得なかったで しょう。天才とは、一部に喧伝されるように個人の能力といったものに帰 される現象などでは決してなく、まさに人類的な現象であって、社会、歴 史、文化などと密接に結び付いた現象であるようです。