現在、およそ電気について勉強した人で「オーム」の名前を知らないも のはないと思われます。電気伝導に関する「オームの法則」は電気の基 本法則ですし、電気抵抗の単位はオームです。
ところが、「オームの法則」という画期的な発見は、当時のドイツの学 界では冷笑の対象になりこそすれ、全く評価されませんでした。その頃 のドイツではへーゲル哲学が全盛で、学問研究は高度に洗練されたエリ ートにのみ許された営みという考えが支配的でした。したがって、大学 を中退した高校教師の研究など、研究としては全く認めらなかったので す。実際、オームの著書に対して、「空想の産物」とか「いやしがたい 妄想」といったいわれのない批判が浴びせられました。それがもとで、 オームは高校を退職せざるを得なくなってしまいました。
一方、諸外国の学界ではたいへんに高い評価受け、1841年にはイギ リス王立協会から「コプリー・メダル」を受け、同時に在外会員に推さ れるという名誉に輝きました。その結果、ドイツの学界もいつまでも無 視することができなくなり、1849年になってようやくミュンヘン大 学員外教授として受け入れたのでした。
やがて、1852年には念願の正教授に就任。名実ともに自国の学界か ら自分の研究が認められた訳ですが、オームはそのわずか2年後に世を 去ったのでした。
オームは、当時の科学の前衛線にたって研究を推し進めた一流の科学者 だったのですが、正規のアカデミックな課程を習得していなかったため に、その研究がなかなか認められませんでした。つまり、当時の学界へ のパスを欠いていた訳です。言い替えると、正規のアカデミックなバッ クグランドを持つことが学者としての存在証明であったということです。
研究者集団とそれの持つ文化とが、アカデミックな課程の習得によって 維持・更新されているという事情は、当時も現在も変わるところはない ように思われます。オームにとって唯一幸いだったことは、当時諸外国 にあって同じように科学の前衛線で活躍していた科学者たち、たとえば ホイートストン、ファラデー、ヘンリー、レンツなどは、正当にも、彼 の研究をたいへん高く評価してくれていたことです。
「前衛の真価は前衛にしか分からない」ということなのかもしれません。