[17]ラザフォード -原子物理学の誕生-
イギリスの物理学者。1871年8月30日、ニュージーランドのスプ リング・グローブ生。放射性元素の崩壊と転換の発見、α粒子の発見、 原子模型の提唱などを行ない、原子物理学の誕生に大きな貢献。父は車 大工。12人の子どもがあって、ラザフォードは4番目。両親はイギリ スからの移民で、質素・倹約を守り、子弟の教育にかける。1887年、 奨学金を得てネルソン・カレッジへ。さらに奨学金を得て、カンタベリ ー大学へ進学。1892年に卒業、学士号取得。1893年修士号取得。 数学と物理学が得意。その後5年間非常勤講師をしながら研究。電磁波 の研究論文2編が入賞し、奨学金を得てイギリスへ渡り、ケンブリッジ 大学キャベンデイッシュ研究所でJ. J.トムソンの弟子に。2マイルの距 離を電磁波を伝える研究に従事。論文は王立協会の雑誌に掲載され、高 い評価。研究所の仲間は、素直に褒めるもの、嫉妬するものとさまざま だったが、トムソンは終始ラザフォードを高く評価し、共同研究。18 98年、カナダのマッギル大学教授に。その後7年間に約80編の論文 発表。1907年、マンチェスター大学教授へ。1919年、トムソン の後を継いで、ケンブリッジ大学キャベンデイッシュ研究所所長へ。ラ ザフォードの指導のもとで、研究所は原子物理学の研究の国際的なセン ターへと組織化され、大きな成果を挙げた。1937年10月19日ケ ンブリッジにて没。

ラザフォードは小学校の教師レイノルズから大きな影響を受けました。 そのおかげで、ほとんど満点の成績でネルソン・カレッジへ進む奨学金 を勝ちとることができたのでした。また、ネルソン・カレッジでは、古 典の教師リトルジョンが親切にしてくれました。勉強では数学に秀でて いましたが、ラテン語、フランス語、英文学、歴史、物理、化学などで も優秀で、学校でトップの成績でした。一方、遊ぶこともかなり上手で、 学生時代全般を通じて遊ぶ材料には事欠きませんでした。

例えば、手製のカメラで写真を撮ったり、時計を分解したり、父が使っ ているような水車の模型を作ったりしました。また、ニュージーランド の豊かな自然の中で、鳥の巣を取ったり、魚とりをしたりしました。さ らに、母や良い教師たちの影響を受けて、文学に対する幅広い趣味を育 みました。実際、生涯に渡って、熱心に読書を続けたのでした。特に伝 記ものが好きでした。

学生仲間の評によれば、ラザフォードは「子どもっぽくて、くったくが なく、素直で、変に大人びたところのない好青年」でした。一方、「ひ とたび目標を定めたら、肝腎な点へと真直に突き進んだ」と言われ、早 くから物事に対する非凡な集中力を持っていました。

ラザフォードは、問題の所在を認知し、その解決へと集中してゆく特異 な能力を持って成長したようです。また、眺めているだけでは満足出来 ず、何でも自分でやってみないと気が済みませんでした。そして、生ま れつき手先が器用だったこともあって、手作りの簡単な装置で実験を進 めました。

素朴な道具、器用な手、大いなる夢と非凡な集中力を持った頭脳。これ らはすべて、故郷を離れて自らの手で新たな生活を切り開いてきた両親 やニュージーランドの人々の開拓者精神を、ラザフォードがそのまま引 き継いでいる結果の現れのよう思われます。

当時、キャベンデイッシュ研究所にラザフォードを訪ねた長岡半太郎は、 「世界のトップレベルの研究が極めて簡単な機械を使って行なわれてい ることを見て、とても驚いた。」と述懐しています。そして、真に科学 を推進するものは、巨大で高価な実験装置などではなく、人間の持つす ぐれた頭脳であることを確信したのでした。