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: 核磁気共鳴と臨床検査 : 生物体と磁性 : 走磁性細菌   目次

鳩の磁気コンパス

花の蜜を吸ったミツバチは数km離れた巣箱に帰り着く.伝書バトは数百km離れた場所で放されても,かなりの確率で鳩舎に戻ることができる.多くの渡鳥は,繁殖地と越冬地の間の長い距離を毎年移動する.このような,長距離にわたる帰巣や移動の例は動物界では広く知られている.では,動物たちは,何を道しるべに,長い道のりを移動できるのであろうか?この疑問は現在までの時点では,まだ未解決であるが,どのような可能性が指摘されているかを伝書バトを例にして考えてみることにする.

まず,伝書バトの帰巣にさいしては, enumdepth >@@toodeepenumdepthne enumctrenumenumdepthlabelenumctr listdepth=ne @ zw zw enumdepth=ne zw zw @ @ @enumctr##1##1太陽が見えるときには,太陽コンパスを主として用いる. 曇天下では入射光の偏光電磁ベクトルを検知して,直接には見えない太陽の位置を知る太陽光偏光コンパスを用いる. 磁気コンパス,聴覚,嗅覚を総合的に利用する. 鳩舎の近くまでくると,視覚をたよりに目標に到達する.と考えられている.

図 4.5: 無線による鳩の帰路調査.FM送信機,電池および約28 [cm]のアンテナを鳩の背に取り付け(a),受信器を放鳥地点の地上にすえるか,時には飛行機に積んで,鳩を追跡する.この無線追跡のデータからわかることは,鳩は放されたあと一直線に飛び続けるのではなくて,度々コースを変えるということである.双眼鏡を使った観察で8羽の鳩が姿を消した方角(b)を,同時にその場所から無線によって追跡した方角(c)とを比較した.二つの円の比は任意に決めたもので,厳密な意味はない.視覚によって追跡できるのは,鳥の飛ぶ高さによって1.5 [km]から3 [km]までである.無線を使うと13 [km]以上追跡できる.破線はすみ家の方向を示している.
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図 4.6: 鳩の帰路調査における磁場の影響.鳥が飛ぶとき,地球の磁気を利用して方位を決めるという「磁場説」は1世紀以上前に提唱された仮説だが,初期の実験で,鳩に磁石を取り付けたときに帰巣の定位が防げられることを立証できなかったため,最近まで否定されてきた.しかし,最近の実験では,棒状磁石をつけた鳩が,完全に曇っている日に見知らぬ場所で放されると定位できないが,太陽が見えるときには定位できることがわかった.黄銅製の棒を取り付けた鳩では晴れていても曇っていても,姿を消す平均的方向はほとんど違いがない.黒丸は各個体が姿を消す方角(観察者が双眼鏡を使って判断した方角),破線は実際のすみ家の方角,矢印はテスト群の鳥全部の平均ベクトルを示す.平均ベクトルの長さは,テスト群の鳥の間で方位選択が一致する程度を統計的に表したものである.完全に一致した場合にはベクトルの長さは円の半径と一致する.飛び去る方角がばらばらであるほどベクトルは短い.
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ここでは,特に磁気コンパスを取り上げて,その機構などについて考えてみよう.

ヴィグァイァーは1882年に鳥は渡りにおいて磁気コンパスを利用している可能性を指摘したが,初期の実験では鳩に磁石を取り付けたときに帰巣の定位が妨げられることを立証できなかったため,最近まで否定されてきた.しかし1969〜1973年キートンらによって図4.5に示すように,無線による鳩の帰路を決定する方法が確立された.この実験で,棒状磁石をつけた鳩が,完全に曇っている日に見知らぬ場所で放されると定位できないが,太陽が見えるときには定位できることがわかった.図4.6にその結果を示すが,晴れた日には磁石をつけた鳩もダミーである黄銅棒をつけた鳩も破線で示すすみかの方角へ飛び立つが,曇った日ではダミーをつけた鳩は晴れた日と同様にすみか方向を目指すのに対して,磁石をもった鳩はてんでばらばらの方向へ飛び出すことがわかる.図中の方向を示す矢印はテスト群の鳥全部の平均ベクトルを示している.すべての鳥の方向が完全に一致したときには,ベクトルの長さは円の半径と一致する.飛び去る方角がばらばらであるはどベクトルの長さは短くなる.この実験より,鳩は曇った日に地球磁場からの情報を得ていることがわかる.さらに1974年ウォルコツトとグリーンはもう一歩進んだ実験を行った.それは,前述の実験の磁石のかわりにヘルムホルツコイルを鳩の頭と首に取り付け,水銀電池より電流を流して頭の中に比較的一様な磁場をつくりだすことができるようにしたものだった(図4.5).彼らの実験の場合は,電流とコイルの接続により電流が左回り,または右回りに流れるようにして,鳥の頭の中に誘導される磁場の向きを上向きまたは下向きにすることができた.この実験により,太陽が出ているときには誘導磁場は鳩のすみかへの定位能力に影響を及ぼさないが,完全に曇っている日では劇的な違いが観測された.すなわち,誘導磁場の向きが地球磁場と同じに上を向いていると,鳩ははとんど晴れた日と同じく方向を定位できた.それに対して,誘導磁場の向きが地球磁場と逆方向の下を向くように右回りに電流を流した場合には,鳩はまったくでたらめの方向に飛び立つことがわかった.以上の鳩の帰巣についての実験結果は,磁気的情報が鳩の航路決定に役立っていることを暗示している.

図 4.7: ヘルムホルツコイルによる実験.ヘルムホルツコイルをつけた鳩は,電流が(a)のように左回りに流れる(誘導磁場のコンパスの南を指す針が上を向く)と,晴れた日にも曇った日にもほぼまっすぐにすみ家へ向かって飛ぶが,コイルの電流が(b)のように右回りに流れる(誘導磁場の北をさす針が上を向く)と,晴れた日ならば鳩はすみ家へ向かって飛ぶが,曇った日には家とほぼ180度異なった方向へ飛ぶ.これらの結果はニューヨーク州立大学のウォルコットとグリーンが行った実験で得られたものである.
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一方,鳩はどのような機構により地球磁場を検知しているのであろうか?一般に生物がどのようにして磁気的な刺激を検知するのかという疑問はまだ解決していない.1979年ウォルコットらは鳩の頭骨と脳硬膜の問の組織に不透明な微粒子が一団となっているのを発見し,粒子の大きさから,その一つ一つが単磁区のマグネタイトと想像した.1980年プレスティとペティグルーは鳩の頭部全体に磁性物質が一様に分布していてマグネタイトと思われる微粒子が首の筋肉内に集中していると報告している.彼らは,この磁化されたマグネタイトが筋紡錘(張力受容器)と結合して地磁気の検出器として働くと推測しているが,まだ決定的なものとは言い難い.今後の研究の進展に期待したい.

Masashige Onoda 平成18年4月11日