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: 生物体と磁性 : 磁性を利用する現代の科学 : 地球の岩石磁気学と古地磁気学   目次


月の岩石の磁性から見た月面の状態

アポロ11号が月面より岩石を持ち帰ることに成功して,月面物質についての研究がはじめて可能となった.しかし,既に我々は月面には最大16ガンマ(1ガンマ [$\gamma$] = 10$^{-6}$ [0e])の磁場しか存在しないことを知っていた.これは,月を周回する孫衛星を月面上に飛ばして観測を行い,その解析より得られた結果であった.この磁場の大きさは,地球上の地表の地球磁場の大きさの約3,000分の1であり,月面には,磁場と呼べるほどの大きさの磁場は存在しない.しかし,現在の月面に磁場が存在しないからといって,月はその誕生以来磁場をもたなかったと決めつける訳にはいかない.現在,地球磁場は地球の中心部にある電気伝導度の高い液体金属よりなる中核部の運動により生じていると考えられている.しかし月は地球にくらべてかなり小さい天体のため,既に十分冷え切っており,液体金属の中心核はもはや存在しないため磁場はない.しかし,月が形成された時期には高温の液体核が存在して月にも磁場が存在していたかも知れない.もし月に過去に磁場があったとすれば,その痕跡は月の物質の残留磁化として保存されている可能性がある.このような岩石の残留磁化を過去の磁場の化石として取り扱うことは,前述のように古地磁気学では既に行われていたが,月面物質についても,アポロ11号の試料は貴重なデータをもたらした.
図 4.2: 月面の斑れい岩の磁化の温度変化,黒丸は実験値,実線は計算値.
\includegraphics[height=120mm,bb=15 105 575 740,angle=90]{f2-16.eps}

アポロ11号の結晶質岩石について得られた結果を簡単に紹介しよう.月面の結晶質岩石は地球上の岩石には見られぬ多くの特性をもっているが,その一つに特異な化学組成がある.地球上の火成岩中の強磁性鉱物は大部分FeO,Fe$_{2}$O$_{3}$,TiO$_{2}$の三成分である.月面の粗粒玄武岩は地球上の玄武岩と比べてTiO$_{2}$成分が10倍近く濃縮しており(11.93 [%]),かつ月面試料にはFe$_{2}$O$_{3}$成分が存在しない.これは,月の岩石が酸素が乏しい還元的な雰囲気中で生成したことに起因している.このために,地球上では普遍的な強磁性鉱物である$\alpha$-Fe$_{2}$O$_{3}$やFe$_{3}$O$_{4}$(磁鉄鉱)は存在せず,月面岩石中の強磁性を担っている鉱物は地球上の岩石とまったく異なるものとなることがわかった.図4.2に月面の斑れい岩の磁化の温度変化を示す.図4.2aに示すように,月の岩石にはキュリー温度が約1,040 [K]の強磁性成分が存在する.

図 4.3: 月面の強磁性物質の磁化の温度依存性.温度の上下でヒステリシスが観測されるが,Niを含むFe合金で見られる一次相転移と考えられる.(a)は月面粉状物質の磁化温度曲線,(b)は角礫岩から分離された強磁性金属の磁化温度曲線である.
\includegraphics[height=120mm,bb=130 30 460 820,angle=90]{f2-17.eps}
これは金属鉄のキュリー温度とほぼ一致するものであり,X線マイクロアナライザーによってもその存在が確認されている.この金属鉄には,微量(約5〜6重量%)のNiを含むことが同じくX線マイクロアナライザーにより確かめられているだけでなく,その強磁性金属の磁化の温度変化が図4.3に示すように,インバー合金にみられる$\alpha$$\gamma$相間の一次の相転移をもつことによりわかる.このNiを含む強磁性金属は隕鉄によるものと考えられ,月面に落下した他の天体からの物質によるものである.

4.2にもう一度戻ると,月の岩石の磁化は,低温でいくつもの磁化の異常を示している.これは反強磁性物質のネール温度に対応している.最も大きな57 [K]の異常はイルメナイト(FeTiO$_{3}$)のネール温度であり,先に述べたTiO$_{2}$の成分の大部分はこの鉱物に含まれている.

また40 [K]近傍の異常は,ほぼFeSiO$_{3}$に近い化学組成をもった輝石族鉱物のネール温度として理解できる.さらに低温で磁化が急増するのは,そのほとんど大部分がCaを含んだ単斜輝石中のFe$^{2+}$イオンの常磁性として説明された.図4.2の測定結果は,単斜輝石中のFe$^{2+}$イオン:FeSiO$_3$:FeTiO$_3$:Fe金属が重量パーセントで4.3:7:20:0.08とすると再現できることがわかった.ここで,磁気データより推定された混合比は,顕微鏡観察による結果ともよく一致するものであった.


Masashige Onoda 平成18年4月11日